町田kkkk

可能性の奴隷

愛しているの定義が違う

8時に起きて妻を車で病院に送る。起きた時から既に眠くて、明日は休みだと鷹を括って夜更かしした昨日の自分が憎い。何故こうも後悔は先に立たないものなのか、38年も生きていて、その経験を活かせない自分が不思議でしかたない。

病院に到着し、妻が車から降りる際、可愛い顔して「多分、すぐ終わるから車で待ってて」と言う。そんな顔で言われるなら、あ、じゃあ、言われた通り車で待ってましょうかと思ったものの、札幌駅周辺で気軽に車を止めておける場所なんてないから、どうしたものかと困惑した。駐車場に止めるのも金が掛かって嫌だったから、その辺をぐるぐる運転しているかと思い、車を動かす。いつのまにか俺も随分とケチくさくなったもんだ、そんな小銭を気にするなんてと思う。昔なら無限に金を使っていたのに。これが所帯染みるという感じか。

そんな感じで車で街中をぐるぐるしていたところ、大通り公園に差し掛かった。横目で見た大通り公園には、これから雪像を作るために設置されたと思われるモノリスみたいな長方形の雪の塊がそこら中に立っていた。それを見て、スタンリーキューブリックの熱烈なファンである僕は、何これ、2001年宇宙の旅みたいでめっちゃ格好良いじゃんって思う。本当にそこら中に雪塊が自立していて、素敵な光景だった。札幌雪まつりって、行ったらかなりの確率で風邪を引くから全然好きじゃなかったけど、あんなに格好良い状態が存在するなら、そんなに悪くないな。いつかコロナが落ち着いたら、家族で見に行こう。車の後部座席で眠る娘達に向かって、そう約束した。ちなみに俺は、2001年宇宙の旅を3回観て、3回とも途中で寝てしまい結末を知らない。

 

127日は結婚記念日だった。

1日早いけれど、妻の病院のあと、札幌駅の食事処でなんとなくお祝いをする。妻と子供がすごく喜んでいた。俺はあまりそのお店にピンと来ていなかったけれど、あなた達が嬉しいなら俺はそれで満足だよと思う。色の綺麗な果物が不味かった。

そのあと、青山フラワーマーケットでばらの花を買う。妻が欲しいと言うから。一輪だけ買おうとしてたから、もっと買えばいいじゃんと言ったら、バラの本数には花言葉があるんだよ、と返す。そんなこと、初めて知った。俺にも知らないことがまだステラプレイスにあるんだなと思う。妻がその花言葉スマホで検索して見せてくれた。へー、じゃあこの花言葉がいいんじゃない?と言って、ばらを 本買った。

 

そして、今リビングの棚にばらが飾ってある。今まで花を綺麗だなんて思ったことがないけれど、今日買ったばらはそんな俺でも綺麗だと思う。うっすらと花びらに纏われている産毛がみたいなのが、高貴さを感じるのだろうか。理由を言語できないけれど、綺麗だと思う。それに単純だけど、ばらの花ってくるりっぽくて良いよね。

 

そして夜、妻が眠る前に今日は楽しかったと言う。その後、俺にキスをして妻は寝室にいった。俺はあなたが楽しかったなら嬉しい。そう思いながら酒を飲む。酒を飲みながららなんとなく、じゃあ俺が俺自身のみで純粋に楽しみのはなんなのかなと思う。音楽を聴いている時か、漫画を読んでいる時か、麻雀をしている時か。そんなもんか。唐突に電気グルーブの虹が聴きたくなったからimusicで検索する。imusicの上位検索には知らない歌手の虹という曲がたくさん出てきた。虹といったら電気グルーブだろ、と思ったけれど、世の中的にはそんなことはないんだね。当たり前だけど、そんなことを思った