町田kkkk

可能性の奴隷

in a safe place

娘の風邪がうつったのか、あまり体調が良くない状態で歩いていた。札幌駅地下街は、新幹線工事の所為で随分とテナントが減っていたけれど、それでも何かしらの目的を持った攻撃的な速度で闊歩する人達で溢れていて、賑やかだった。

俺はそんな12月の札幌駅を、悪寒と倦怠感のマフラーを巻き、4回目のコロナワクチンを接種するために病院を目指し歩く。一体、あと何回訳の分からない注射を打って、何回拷問みたいな副反応に苛まれれば、俺は自由になれるのだろう。いつになれば、自由に笑ったり、ブランコを漕ぎながら歌ったりできるのだろう。頭の中のアルプスが炸裂する。

 

体が弱り感覚が敏感になっていたせいか、クリスマスの電飾がやたらと目に刺さる。青と赤と緑を基調としたそれらは、30代後半の俺の鼓動とほぼ同じ周期で点滅を繰り返しており、俺の視線を完全に奪いにくる。クリスマスの電飾がこんなに綺麗だと思った事は、久しぶりだ。やっぱり具合が悪いせいかな。

メリークリスマスだって。なんか照れちゃう。ギンガムチェックの店頭のポップがエメラルドグリーンだったせいだよ、きっと。border上の原子、粒子。ハロー、クリスマス。プレゼントなんて、貰う方が嬉しいだけの行為としか思ってなかったけれど、本当はあげる方が楽しいんだね、最近知ったよ。サンタが俺だって知った時、君たちはどんな気持ちになるのかな。きっと騙された気分になって、泣いてしまうのだろう。急に現実を突きつけられた気がして、悲しくなっちゃうんだろう。だけど、それまではこの嘘みたいな奇跡に酔いしれてほしいな(本当に嘘なんだけど)

 

子供の頃、冬の夜道が本当に怖くて仕方なかった。好きでやってたサッカークラブを辞めたのも、それが原因だったようなもんだ。降り注ぐ雪は冷たくて、靴には水が染み、眼前は心許ない電灯だけの真っ暗闇で、今にも連れ去られてしまいそうな感じが怖くて怖くてしかたなかった。今日、仕事帰りに歩道橋を歩きながらそんなことを思い出した。

だからこそ、自分の家に着いた時の安心感と言ったらなかった。家に入った時に全身で感じる暖かさや、すぐに晩ご飯が出てくる感じ。大相撲中継がテレビから流れている光景。今日も無事だった。あの安心感と幸福感は、俺はもう二度と抱くことができないんだろう。俺にとって、あれほど安全な場所はもうこの世に存在しない。

 

例年の感想と同じく、今年も時間が過ぎるのが早い。もはや誰かがリモコンのボタンを押して、世界を早送りしているとしか思えない。だって、一年前はまだ下の子も生まれてなかったんだぜ。そんなことある?もう3年はずっとミルクあげ続けてる気分だよ。

 

あと10日もすればクリスマス。今年のサンタからのプレゼントに君らはどんな反応なんだろう。きっとノーリアクションに違いない。大してよく理解していないくらい、ちびっ子なんだから、君らは。君が今朝俺の部屋で手を伸ばそうとしていた衣装ケース上の包装された箱が、実はそれだったりするんだけどさ。なんでもいいんだけれど、今はとにかく、妻を含めたこの家族で何かのイベントをこなしていくことが楽しくて仕方ない。

 

俺はそうだね、暖かい毛布が欲しい。ユニクロのでもニトリのでもいい。最先端の技術が投入された暖かい毛布が欲しい。それに包まって、幼少期に感じた実家の安堵感を思い出してみたい。試行してみたい。ブリリアントグリーンの白い雪とシャンパンとX'mas SONGを聴きながら。思い出せるかな、思い出せたらいいな